何の見返りも求めないってのがいいじゃないか

今日は高専ロボコン関東甲信越地区大会だった。群馬高専から出場した2チームは両方とも準決勝に進出したが、惜しくもそこで敗れてしまった。しかしどちらもギリギリまで勝敗がわからない、熱い戦いをしてくれた。うち一つのチームは特別枠で全国大会に出場することになったが、もう一つのチームも実によく戦ったと思う。今回は群馬高専が主幹だったので、おとといの金曜日から教職員総出で準備・運営に当たっていたおかげで学生達の姿を準備段階から見ることができたので、余計に彼らの頑張りがよくわかった。
その熱気のせいか、自分が高校時代に応援団だったころの思い出がよみがえってきた。入団初日のランニングで学校裏の山道を走らされ、少しでも遅れると先輩に襟首を掴まれて引っ張られて、ついに同期の一人が走ってきた車に当たって逃げ出そうとしたこと。自分だけがいつまでたっても体力がつかず、みんなと同じようにできなくて目に涙を浮かべながら練習したこと。冬には毎日氷点下の中、裸足で練習して足の裏が切れまくったこと。気付けば最初に入団した同期の6人のうち、残ったのは僕といとこの2人だけになり、お互いに励ましあいながら乗り切ったこと。むちゃくちゃ厳しくて怖くて仕方なかった先輩達だったけど、どの人達も熱くてかっこよくて、俺もいつかはあんな風になりたいと思っていたこと。そして途中から入団した同期の仲間と4人で毎日必死に練習して、学校の帰りにいつもラーメン屋に寄って、バカな話で笑いまくって過ごしたこと。本当に楽しかったし、今でも応援団の同期はかけがえのない親友だ。僕の結婚式のときに同期の連中が僕にエールを送ってくれたのだが、そのときに言ってくれた
「君は俺たちであり、俺たちは君だ」
っていう言葉には思わず号泣したっけなあ。
教員という仕事には、学生達のおかげでこうやって自分の人生をもう一度体験し直させてもらえるようなところがある。もちろん時には「ああ、もう自分はこの年齢を過ぎてしまったのだな」という一抹の寂しさを覚えることもあるのだが、逆に「よし、じゃあ今度は俺の番だ」などと勝手に燃えてくることもある。僕の場合はむしろそちらの方が多いくらいで、「ああ、そういえば俺はあの頃こんなことを考えていたなあ」と、すっかり忘れていた「初心のようなもの」を思い出させてもらえるのだ。
子育てをしていても似たようなことがある。僕には4歳の娘と2歳の双子の息子がいるのだが、子供たちが道端の草やアスファルトのかけらのような、もう少し大きくなればきっと見向きもしなくなるようなもの全てに反応して、それを嬉しそうに拾っているところなんかを見ると、自分にはさすがにその頃の記憶はないわけだが、何となく同じ思い出を持っているような気がしてくるのだ。大抵の場合それは「どこかでこの匂いをかいだような感覚」として訪れる。
学生達も、子供達も、これからの人生でたくさんの忘れられない思い出を作るだろう。そしてそれらの思い出のうちで君達の心を熱く奮い立たせたり、ふっと優しくさせたりできるようなものはきっと、何の見返りも求めず、ただ素直に、そのためだけに真剣だったときの思い出だけだと思う。君達が、そんな思い出がいっぱいの人生を送ることを心から祈る。

Kobayashi Shinpei / 小林晋平 Website

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