相手からしたらどうでもよいこと・自分だけがすっきりすること

僕は子供の頃からおしゃべりで,昔はよく「口から先に生まれてきた」と言われた。それが悔しくて思い切り反論するものだから,ますます「やっぱり口から先に生まれてきた」と言われるはめになった(笑)
学生時代にアルバイトで予備校講師をしていたころに比べればかなりましになったとはいえ,授業中に雑談が白熱し過ぎて休み時間に食い込んでしまうこともよくある。友達や職場の同僚とも,仕事が終わった後に話を始めてしまうとダラダラ続けてしまったりする。部活帰りの学生たちがいつまでもおしゃべりを続けていてなかなか帰宅しないのとあまり変わらない。もちろん,夜には夜で講義以外の仕事があるので学生時代ほど長話はしないが,気付いたら結構な時間になっていることもある。
そういった長話でもそうだし,授業中に意図的でない話を始めてしまったときもそうなのだが,話が長引くのは「オチを付けずにいられない」からということに気が付いてから反省している。その場の思い付きで始めた話なんだから終わり方などどうでもよいはずなのだが,それにいちいちオチを付けずにはいられない。話し相手がチラッと時計を見た時など「あ,まずい,切り上げなきゃ悪いな」と思うのだが,そこで「じゃ,これで」とは言えずに何とかオチを付けようと続けてしまう。相手からすればオチのあるなしなどどうでもいいことだし,何よりさっさと話を終わらせてくれる方がよっぽど嬉しいだろう。それでも続けてしまうのは完全に自分のエゴで,「オチた」という自己満足が欲しいだけのことだ。実に反省である。
本当に他人からの期待に答えたいなら,この手の自己満足はやってはいけない。前にテレビで離婚問題に詳しいコメンテーターが「旦那さんが浮気を奥さんに告白して謝っても,すっきりするのは旦那さんだけで,奥さんは嫌な気持ちを抱えるだけ。一見すると旦那さんは正直に謝っただけマシに見えるけれど,実は自分一人の心にとどめておくのがしんどくなったから相手にも押し付けただけ」と言っていた。僕が話にオチを付けてから終わらせたいと思っているのも似たようなもので,相手が特に期待しているわけでもないことを,自分がすっきりしたいからという理由だけでやっていたのだなあと,自分の未熟さを痛感した。というわけでオチもなく今日は筆を置く。

Kobayashi Shinpei / 小林晋平 Website

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